二重言語国家・日本
二重言語国家・日本

本の帯に「日本語は中国語の植民地語である」と言うのが書いてあり、それに惹かれて買ったのが本書である。

ここのコーナーでは「あれが良い」「これが良い」と言うのばかり書いていて、これではまるでどこかの雑誌の提灯記事とさしてかわりがない様な感じになってしまい、たまには批判する文章でも書いてみようと思った。この本の著者の石川氏には巡り合わせが悪かったと思って貰おう(笑)(どうせここで何言われたって関係ないだろうし(^^;)。

私がこの本に期待した内容とずれていた。内容は私が想像していたもっと言語学的なものではなくて、日本文化論だった。帯の裏の方を読めば良かった。予想を裏切られたから言う訳ではないが、どうも色々な面でこの石川氏の言い分は考察が少なく、決め付けが多い様な気がする。言いたいことは日本文化論なのだろうが、その為の骨格となっている言語に関しての考察がお粗末である。

石川氏は言う

ソシュールの言語論にせよ、チョムスキーの「生成文法論」にせよ、あるいはその影響下にある日本の言語学にせよ、コンピュータソフトの開発には役立っても、その学問がいっこうに人間や社会の現実を解き明かすことにならぬのは、意識と言葉の深みへの考察を欠いているからである。

これは別にソシュールやチョムスキーのどこがどう、と言うのを細かく分析したのを提示しての発言ではない。いきなりである。これではソシュールもチョムスキーも浮かばれない(あ、チョムスキー未だ生きてるか(笑))。確かにソシュールは東洋の言語に関する認識不足は否めないと私も思ってはいるが、一言で退けられてはたまらない。

石川氏のこの手の言及法は至る所に見られ、ワープロに文句をたれる所では「手もあり、紙もあり、筆記具もあるのだから、自らの手で書けばよい。それで済む。それなのに、わざわざ機械の前に座ってキイをたたいて、人工合成文字を並べている。これは前述の人工合成音声発生機で会話するがごとき奇怪な現象ではないだろうか。」とは、無理解も甚だしい。あんた、さてはキーボードアレルギーかい(笑)。冗談はさておき、もっとコンピュータの事を理解してから話をした方がよいだろう。でないとこの先単なるわらいものである。

最初の本の帯の話に戻るが、「日本語は中国語の植民地語である」と言うアプローチは面白い。これでちゃんとした言語学的な考察がなされていれば、と惜しくてならない。

石川九楊著「二重言語国家・日本」 NHKブックス859
日本放送出版協会 本体970円
ISBN4-14-001859-3 C1381
平成11年水無月4日

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